●あるいは、死は
あるいは、死は、生とひとしく、生は、死とひとしいと言えるかもしれない。生きて、飲みかつ、喰うこと、これも、われわれの感覚のでっち上げたえそらごとなのかもしれない。されば、死とは、永遠のねむり以外の何ものであろうか? 生とは、ねむりつつ、かつ、喰うことに、存するのではなかろうか。
―― アリストパネス [wiki]
- ものの理を説くことは
ものの理を説くことは、人をつき飛ばすことに等しい。
―― アラン [wiki]
- あたかもよくすごした一日が
あたかもよくすごした一日が安らかな眠りをあたえるように、よく用いられた一生は安らかな死をあたえる。
―― レオナルド・ダ・ヴィンチ [wiki]
- 充実した一日が
充実した一日がしあわせな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。
―― レオナルド・ダ・ヴィンチ [wiki]
- 生まれたものに
生れたものに死はかならず来る。死せるものはかならずまた生まれる。さけられないことをなげいてはいけない。
生れる前には、存在は人の感覚で明らかでない。生れてから死ぬまでの間だけ明らかであり、死とともに、また明らかでなくなる。ここになんの悲しむべきことがあろう。
生きているものすべてのなかに住む『かれ』は、永遠にうちこわされることがない。だから何者のためにも、けっしてなげくことはないのだ。―― バガヴァド・ギーターより
※バガヴァド・ギーター:ヒンドゥー教の古典・聖典 - 死はイメージを
死はイメージを欠いているから想像できない。死は思想を欠いているから考えられない。さればわれわれは永遠に生きる者であるかのように生きなければならない。
―― モロア
※フランスの小説家(?) - 死は感覚の休息
死は感覚の休息、衝動の糸の切断、心の満足、または非常召集の休止、肉への奉仕の解放にすぎない。
―― アウレリウス
- 喜びを
喜びを持てば持つほど、われわれは完全さを持つことになる。完全さとは充足感である。食物・衣服・感覚・遊戯、すべてにわたりよい感じを与えるものは、いかなる害も与えない。これはわれわれには娯楽であるかもしれないが生活に欠くことのできないもので、これらのものがなかったら、われわれはこの苦しい人生を生き通すことができないかもしれない。人間は人生にあるこれらのよいものをできるだけ利用し、できるだけ多く愉快に、快活に努めるとともに、自分だけ愉快になって喜ぶのでなく、他の人びとにも喜びを分けてやるがよい。喜びが大きければそれだけ、生活への意欲はいっそう大きく強くなるものであろう。
―― スピノザ [wiki]
- 死のない生とは
死のない生とは何か? 死がなければ、生を重んじる者はいないだろう。
―― ボスハルト
※スイスの作家 - 死は
死は生の自然の継続である。最もよき生の後に最も悪き死が来る理由がない。……死に対する最良の準備が最もよく生きることに在るのは疑ひがない。
―― 阿部次郎 [wiki]
- ある人は
ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。ある人は十銭を持って一銭の十倍と解釈する。同じ言葉が人によって高くも低くもなる。言葉を用いるは人の見識次第である。
―― 夏目漱石 [wiki]




