●学ぶに暇なしと
学ぶに暇なしと言う者は、暇ありといえども、学ぶこと能わず。
―― 劉安 [wiki] 『准南子(准南鴻烈解)』
- ひまなことは
ひまなことは、忙しいよりはよいものだ。余分なものは何ひとつないわれわれ庶民にとって、時間だけが財産である。
―― B・グラシアス
- 一人でいるとき
一人でいるとき、女たちがどんなふうに時間をつぶすものか、もしそれを男たちが知ったとしたら、男たちはけっして結婚なんかしないだろう。
―― O・ヘンリー [wiki]
- 自ら責むることに
自ら責むることに厚ければ、何ぞ人を責むる暇あらんや。
―― 春日潜庵
- 予はときに
予はときに感ずることがある。人間には運命というものがあって、自分である程度までこれを開拓していくことができる。世人に暇があったら何をなすとか、金があったら何々を実行するとかいって、暇と金とに全責任を負わせている者が多数である。が、実際、この暇と金とも自分でどうにかしてこしらえるものだということを深く確信しているものはないようである。予はこの当時は、別にどうとも感じなかったが、今から考えてみると、たしかに人間というものには一種の運命というものがあって、これをある点まで支配することができるものだと思う。
―― 片山潜 [wiki]
- つねに多くのことを
つねに多くのことを学びつつ、私は年をとる。
―― ソロン [wiki]
- 人類は
人類は、いわば不断に学ぶ唯一の存在である。
―― パスカル [wiki]
- 哲学するのは
哲学するのは、いかに死すべきかを学ぶためである。
―― モンテーニュ [wiki]
- すべての学問は
すべての学問は相互に結合しているゆえ、一つを他から分離するよりも、すべてを一度に学ぶほうが、はるかに容易であることをよく心得ねばならぬ。
―― デカルト [wiki]
- 愚者は教えたがり
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。
―― チェーホフ [wiki]
- 学びて止まず
学びて止まず、棺をおおいてすなわち止む。
―― 韓嬰





コメント
引用元である手元の本では劉安の言葉としての紹介ではなく古代中国の哲学書『准南子』の言葉であるとしている。
劉安は当人自身も学者であり准南子の編纂を行ったとされるが、この言葉を劉安の言葉とする(管理人自身が納得するような)根拠があるわけではない。
しかし、別の引用元(主にネット情報)においては劉安の言葉として紹介している例もあり、ここでは劉安の言葉としての紹介し『准南子』を併記した。
Posted by: 管理人 | 2008年07月14日 10:23